ブログ61 ストーカー対策に比して子ども虐待対策はなぜここまで遅れているのか

 いつも「子ども虐待死ゼロを目指す法改正」を求める署名運動にご理解ご支援賜っておりますことに厚くお礼申しあげます。

1 国立競技場の建設問題、五輪エンブレム問題と、少数の担当者や内輪の専門家だけで閉鎖的に真剣に検証することなく方針を決め、外部の意見に耳を貸さず、問題を大きくした挙句、撤回・修正に追い込まれる、そして、実質的に誰も責任を取らない、という事態が続いていますが、これらの問題はまだ「撤回・修正」しましたから、ベター(とまで言えるかは微妙ですが少なくともワーストではない)の対応といえるでしょう。子ども虐待問題はこれらと同様の構図が長年続き、しかも、お金や信用の問題ではなく子どもの命が救えていないというより重大な問題でありながら、今も修正しようとしない、ワーストの対応が続いています。

 前メールで書きましたとおり、少なくとも2004年の岸和田市中学生餓死寸前事件以降、児相が案件を抱え込んで家庭訪問もしないという対応を変えない限り、子どもの虐待死・虐待のエスカレートは防ぐことができないということが明らかでした。この事件以降10年間の児相が把握しながら虐待死を防ぐことができなかった多数の事件を見れば明らかです。それにも関わらず、10年以上、厚労省と現場の児相は不作為を決め込み、今でも私どもの法改正案に対して反対を続けています。

2 8月31日の日経新聞で、警察庁は来年度から警察官と精神科医らが連携してストーカー加害者に治療を促す取組を始めると報じられています。同意がなければ治療を受けさせることはできず、いろいろと試行錯誤の面もあると思いますが、被害防止策を専門家と連携して打ち出すもので大変評価できます。
 ストーカー対策との対比でいつも痛感するのが子ども虐待対策の遅れです。前メールで、子ども虐待問題についてはエビデンスに基づく検証がないことを指摘しましたが、加害親へのカウンセリングこそ長年その必要性が訴えられていますが、全く手付かずです。
 正直なところ、加害親へのカウンセリング制度を実施するどころではありません。児相は一人当たり140件もの案件を抱え、虐待家庭への家庭訪問すらできず(足立区ウサギ用ケージ監禁虐待死事件ですら5ケ月も家庭訪問していません)、警察との情報共有もせずほったらかしにし、その間に酷い虐待死をいつまでもいつまでも招いてしまっているのです。
 ストーカー被害者が被害を訴えながら、警察がほったらかしにして、被害者が殺されてしまったという事例は、ストーカー規制法制定前後に何件もありましたが、最近はほとんどありません。
 警察ではずさんな対応を起こすたびに、それを教訓として再発防止に努める姿勢が見受けられ、現在警察の現場はストーカー事案に対しては大変な緊張感を持ちピリピリしているほどです。
 一方、厚労省や児相にはほとんどそれがありません。厚労省はアリバイのように通知は出しますが、全国の児相には効力がないこともあり、現場の児相は相変わらず危機感のない対応が続いています。一人当たり140件も抱え、ほとんど身動きできない状況であるにも関わらず、警察と連携しようとせず、あいかわらず案件を抱え込んでは、家庭訪問もしない、という対応を、私どもの法改正を求める署名活動がなされても、聞く耳を持たず、相変わらず続けています。

3 現在の警察のストーカー対策は、被害者からの相談があれば、加害者にすぐ警告し、刑罰法令に触れる行為があれば原則検挙です。9割がこれでおさまっています。しかも、その後も、被害者に対しては、危険度に応じて家庭訪問やパトロール、電話での定期的な安全確認など被害の未然防止活動を行っています。また、ストーカー110番通報登録制度を設け、被害者の携帯電話番号を登録することにより、被害者が110番をかけた場合には直ちに警察官が現場に急行できるシステムを整備し、間一髪で加害者から被害者を救った事例もあります。上記のように加害者に対する精神科医による治療も実施しようとしています。
 これに対して、厚労省、児相の子ども虐待対策は、通報があれば現場に48時間に向かうこととされていますが、その後の家庭訪問はよほど危険度が高いと判断された場合以外はほとんどなされていません。といいますか、一人当たり140件も抱えているので、できないのです。それにも関わらず、警察と情報共有して連携して家庭訪問する気はなく、ほったらかしにしています。その間、子どもは虐待を受け続けているのです。児相に対する通報で、何割の虐待がおさまっているのかの統計もありません。多分、一時保護しない限り、児相の職員が一度や二度訪問したからといって虐待がやむことはほとんどないでしょう。虐待親には虐待する事情、理由があり、普通の地方公務員の一度や二度の訪問でそれがなくなると考えることは楽観的過ぎます。警察官が訪問すれば効果はまだありますが(ストーカーでは警察官が警告するだけで8、9割がおさまります)、児相の職員が訪問して虐待をやめる親はもともとほとんど問題のない親でしょう。また、児相が把握している家庭について「虐待ではないか」との110番が地域住民から警察に入っても、児相が警察に情報提供しないため、現場に行った警察官が親ら「夫婦喧嘩だ」と騙され、子どもの体をよく見ず、虐待を見逃し、その後子どもが虐待死させられるという事件も起こっています。加害親へのカウンセリングなど夢のまた夢です。

4 以上のとおり、現在のストーカー対策と子ども虐待対策では、雲泥の差があります。家庭という密室で自ら逃げることも助けを求めることもできず虐待にさらされている子どもこそ守られなければならないのに、全く不十分なのです。

 DV事案については、DV防止法が裁判所から保護命令を出す仕組みとしているため、子ども虐待同様、警察に法律上付与された役割はさほどありません。しかし、警察に対して相談が多数寄せられている実態にあり、警察は法律に規定されていない対応も数多く行っています。
 兵庫県警察が「配偶者からの暴力でお悩みの方へ」というパンフレットには、配偶者からの暴力対策として、
○配偶者に注意してほしい
○配偶者を検挙してほしい
○配偶者から逃れるためには
○110番通報登録制度とは
等の項目が記載され、それぞれ、
○あなたが要望すれば警察から配偶者に対して指導警告します
○被害届を提出することによって刑事事件として取り扱います
○一時避難場所としてシェルターに入所し、自立に向けた支援を受けることができます
○本制度に登録すれば、110番通報した場合に何も言えなくても配偶者暴力事案であることが分かるのでパトカーへの速やかな指令ができます
と説明されています。

 要するに、警察は、配偶者から暴力をふるわれている女性に対して、警察に検挙してほしい、検挙はしなくていいけど指導警告してほしい、逃げさせてほしい、助けを呼びたいときにすぐに警察官に来てほしい、ときはすぐ警察に言ってください、できる限り対応しますから、と言っているのです。
 DVについても、法律に警察の権限が規定されているわけでもないのに、ストーカー事案と同様に大変熱心に取り組んでいます。

5 これに対して、虐待を受けている子どもに対しては、児童相談所は子どもを守る責務が法律上付与されながらこれらの取組をほとんどやっていません。もちろん、乳幼児や小学校低学年の子どもは助けを求めることはできませんし、逃げることもできません。だからこそ、児童相談所が把握した虐待家庭についてはより丁寧に、より頻繁に家庭訪問し(子どもは自ら助けを求められないのだから)、子どもが虐待されていないかを確認しなければならないはずです。そして、被害者が大人であれば当然に求めるであろう、暴力をふるう者への指導警告や検挙、あるいはその者との分離など、児童相談所は警察とともに対応することが必要なはずです。自らの組織だけではできないのですから、本来児相から警察に連携を求めなければならないはずです。

 ストーカー被害者もDV被害者も大人です。逃げることも、助けを求めることもできる大人の女性を守るために行っていることを、逃げることもできず、助けを求めることもできない子どもについて行っていないということは順序が全く逆で、本来は児相に子ども虐待への対応を義務付けている法制度の問題ですが、警察と児相の組織の問題でもあります。

 ストーカーやDVの被害女性はみなさん警察に助けを求め、警察は懸命に対応するようになっています。もちろん、先般の長崎県西海市事件のようにまだまだ不適切な対応もありますが、全体としては10数年前の桶川ストーカー殺人事件の頃に比べて画期的に向上しました。自分のいた組織に甘いかもしれませんが、警察が組織を挙げて本気で対応すると成果が確実にでるのです。本気になるまで時間がかかるし、法律で義務付けないとなかなか本気にならないのが問題です。子ども虐待に関しても、法改正がなされ、警察が児相と情報共有の上連携して対応するという方針の下、両組織の業務の理解のため研修、人事交流、そして不断の努力をすれば、時間がかかることは否定できませんが、このまま児童相談所に任せているのとでは大変な違いが出ることは間違いありません。
 しかし、児相は、私どもが法改正を求める署名運動を始めた後も、警察との情報共有も連携しての活動も拒んだままです。何度も言いますが、子ども虐待は一つの機関で対応することは不可能で、児童相談所が案件を抱え込み、家庭訪問もせず放置していることが、救えるはずの命を救えない最大の原因です。児童相談所と警察等他機関の情報共有と連携しての活動が必要不可欠なのです。

 このまま有効な対策を取らず、厚労省や児相の関係者はどう責任をとるつもりなのか、多分、これまでの担当者同様、誰も責任など取る気はないのだと思います。役人は国民に責任を負っているとは思っていません。政治による決定しか期待できません。
 前メールでも書きましたが、どれだけ子どもが殺されようと、反省しない、検証しない、責任を取らない、ということは、決して許されるものではありません。