ブログ132 3月19日の政府の対策では同じ事件がいつ起こっても不思議はない

 3月24日、明石市で児童相談所の開所式があり、児童相談所設立アドバイザーを務めていた私も出席いたしました。明石市では既に要対協の実務者会議で、警察を含め関係機関での全件共有と連携しての取組が実現していますが、児童相談所設立によりさらに効果的な対応ができることと思います。

 さて、本年3月19日、政府の「児童虐待対策の抜本的強化について」が発表されました。

https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/000490768.pdf

 私どもの求める児相、市町村、警察との全件共有と連携しての対応はまたも受け入れられませんでした。実施する自治体は19にも上っているにも関わらず、政府は改革しようとする児童相談所の動きを全く無視しています。これではいつ結愛ちゃん事件、心愛さん事件と同様の事件が起こっても不思議はありません。これらの事件の再発防止に効果のある対策は含まれていません。結愛ちゃん、心愛さんの命を救えなかったのは、この対策に書かれてある「体罰が禁止」されていないからでも、児相に医師や弁護士が常駐していないからでも、児相の介入と支援が分離されていないからでもありません。児相の「親を恐れ親に屈し警察にも連絡せず、子どもを危険な状況にさらしても平気でいる体質・対応」が原因です。昨年7月20日の結愛ちゃん事件を機に策定された緊急対策も同様で、命を救うことができなかった原因である児相の上記体質にメスを入れず、ピントのずれた対策を羅列したもので、千葉県の児童相談所は警察との連携もしないまま、案の定、救えたはずの心愛さんの命を救うことができませんでした。今回政府はまたまた今回も同じように再発防止に効果のない対策を策定してしまいました。いつまで児相の上記体質にメスを入れず、救えるはずの子どもの命を救えない事件を続けさせるのか。

 児相に医師や弁護士を常駐させても「体罰の禁止」を盛り込んでも児相のずさんな対応が改まるわけがありません。結愛ちゃん事件、心愛さん事件を防げなかった原因(児相の情報共有すら拒む閉鎖的体質)にメスを入れ、それに応じた再発防止策(全件共有と連携しての対応)を打ち出さない限り、同様の事件が続くだけです。案件抱え込みが児相のとんでもない不作為を可能にしているのです。他機関の目にさらされれば児相も改善せざるを得なくなるのです。すぐにでも、「児相、市町村、警察等関係機関の全件共有と連携しての対応」を政府の対策として打ち出さなければ、私どもの要望にいつまでも応じない東京都や千葉県、福岡県、福岡市、北九州市、兵庫県などでいつこのような事件が起こっても不思議はないのです。前メルマガで紹介した福岡県筑紫野市の虐待事件では、学校の教師があざに気づかなければ女児は殺害されていた可能性がかなりありました。学校等多くの関係機関が、虐待案件を漏れなく共有した上であざなど危険な兆候を見逃すことなく発見し、保護につなげることが子どもを救うためには絶対必要です(あらかじめ案件を共有しておかないと、せっかく何らかの兆候に気づいても親から騙される、子どもが否定するなどの理由により的確な対応ができないリスクがあるのです。)。このような危険な兆候に最もよく気づくことができるのは警察です。その警察を危険な兆候を見逃さず子どもを救う役割を担う関係機関の輪から外してどうするのか。

 全件共有と連携しての対応に反対する厚労省、警察庁や東京都、千葉県、福岡県、福岡市、北九州市、兵庫県などの児童相談所の職員や知事、市長、学者や医師等「専門家」と言われる皆さんには、「親から虐待を受けている子どもは警察に助けられなくていいのか」「児相が知りながら警察に知らされないまま子どもが殺されても仕方がないのか」、「警察は児相に知らされないまま虐待を見逃してもいいのか」、「殺される子どもはそれで納得していると思うのか」というところから、考えてほしいと思います。成育医療センターの奥山真紀子医師は「子どもが中心」とおっしゃいながら全件共有に反対されておられますが(2019.2.24NHK日曜討論)、「子どもが中心」と言われながら、児相が知りながら警察に連絡しないまま子どもが虐待死に至る事件が多発していることを容認するということは矛盾ではないでしょうか。親に配慮して、児相に警察と情報共有しなくていいというのは、「子どもが中心」ではなく、「親が中心」、「児相が中心」の考えではないでしょうか。児相が案件を抱え込んだまま虐待死に至る事件が多発しているのです。こういう事案を防ぐには、関係機関が幅広く情報共有しベストの連携態勢を構築して子どもを守ることしかありません。

 多くの関係機関が情報共有し危険な兆候を見逃さないような態勢としたうえで、いずれかの機関が危険な兆候を発見した場合には直ちに警察に連絡し、警察が直ちに子どもの安否確認に向かい、けが・衰弱していれば緊急に保護する、という仕組みとしていれば、結愛ちゃんも心愛さんも救うことができました。逆に、このような仕組みとしなければ、いつまでも子どもを救うことができないのです。児相の職員の数を増やしても専門的知識を向上させても、医師や弁護士を常駐させても救えないのです。
 このような問題意識から、19の自治体で警察等関係機関と全件共有の上連携しての活動が取り組まれているにもかかわらず、「専門家」の方がそのような改善の動きに背を向け、厚労省や自民党の有力議員に相も変わらず反対などと言い続けられれば、政府・与党も有効な対策を講じられず、いつまでも子どもは救われません。児童福祉の「専門家」と言われる学者や医師、弁護士の方々はそれで平気なのでしょうか。誰のための「児童福祉」なのでしょうか。子どもを守るのが「児童福祉」でないのでしょうか。