ブログ148 和歌山県、長崎県で全件共有が実現(していました)、警察と連携して子どもを守ることを思いもつかない千葉県野田市心愛さん事件の県の検証報告書「自分が理解したい形で世界を理解する態度」―その1

1.和歌山県と長崎県で全件共有が実現していただきました。和歌山県には2018年11月に訪問し、こども未来課の課長さんに児童相談所と警察との全件共有と連携しての活動をお願いしておりましたところ、この度実現したとお知らせいただきました。ありがたい限りです。また、長崎県には、私は訪問してお願いしていないにもかかわらず、昨年6月から全件共有していますとお教えいただきました。前メールでご報告した京都府と同様、私どもの知らないところでやっていただいている自治体も少なからずあり、大変うれしい限りです。これで全件共有は31自治体(既にその方針を公表している大阪市を含む)で児相設置自治体の4割を超え、近々数自治体で実現予定ですので、いよいよ全国の半数の自治体で全件共有と連携しての活動が実現することになります。

2.全国的には大きくご理解が進んでいるのですが、野田市心愛さん事件を引き起こした千葉県―父親の公判が今月始まりますー目黒区結愛ちゃん事件を引き起こした東京都などとんでもない事件を引き起こした児童相談所ほど相変わらず閉鎖的な対応に固執し、上記のような連携に踏み出した多くの自治体と異なり、他機関との情報共有も連携しての活動をいつまでも拒否しています。
 このような閉鎖的な対応にお墨付きを与えているのが、いわゆる児童虐待の「専門家」と称する、児童福祉分野の学者(この中には児相OBの方も少なくありません)、ごく一部の医師、弁護士の方々です。こうした方々は、これまでの児童相談所の閉鎖的な対応を支持しており、警察等関係機関との連携に積極的に取り組む多くの児童相談所には背を向けて、児童相談所の警察との連携には極めて消極的です。その考え方の基本には、警察と連携すれば子どもを救えた事件が続発しても、それを無視ないしは軽視する態度、姿勢(このような態度のこと「反知性主義」と呼ばれることもあるようです)があるのではと感じるようになりました(「反知性主義」については下記5参照)

3.2019年11月に出された野田市心愛さん事件の千葉県の検証報告書は、検証委員会の委員長は児童相談所OBの川崎二三彦氏が務めておられることからも予想されましたが、案の定、提言には他機関との連携にはわずかばかりしか触れていません(下記参照)。

https://www.pref.chiba.lg.jp/jika/press/2019/documents/dai5jihokokusho.pdf

 さすがに児童相談所の対応を批判しているのですが、主として判断が甘かったとか、野田市との連携が悪かったとか、専門的能力が足りなかった、というもので、提言の主たる内容は、いつものとおり、児童相談所職員の増員と研修の強化です。提言の4番目に「市町村要対協の強化、関係機関との連携を強化する」と少しだけ触れられていますが、一般論で、警察との連携は「児相や市町村の職員等が高圧的な保護者等へ毅然とした対応ができるよう警察や弁護士との一層の連携を図ること」という一文のみ、高圧的な保護者への対応のみで、弁護士と同等の扱いです。警察の役割はこの程度でいいということで、全件共有と連携しての活動をすれば、どれほど格段に子どもを守ることができるかなど夢にも思いつかないような内容です。
 心愛さんが父親から暴力を受けていると学校に訴えたときに、学校、あるいは児童相談所が警察に通報さえしていればーこの時点では高圧的な保護者かどうかは分からないのですー、10回も殴られているという悪質な事案なのですから父親は逮捕あるいは書類送検はされていたでしょう。それを受けた検察がちゃんと起訴していれば(結愛ちゃん事件での高松地検のような二度も警察から書類送検されながら二度とも不起訴とするようなことをしなければという意味ですが)、父親に刑事責任が問われ父親への虐待のかなりの抑止力となったことでしょうから(起訴されなくとも虐待親に効果のある警察からの警告がなされていたらそれでもかなりの抑止力になりますから)、心愛さんはかくも残酷な虐待を受け続け、虐待死させられることはありませんでした。本事件の大きな教訓はここでしょう(他にも、一時保護を解除したこと、解除後一度も家庭訪問しなかったこと、長期欠席を知りながら放置したことなど多数ありますが、それは別途述べます)。子どもが犯罪被害を受けているにもかかわらず、助けを求めているにもかかわらず、児童相談所が案件を抱え込み警察に通報しなかったことが悲劇を招いたのです。これまでも同様の事件が多数起こっているのです。

 子どもに暴力をふるう虐待親への刑事責任の追及は当然であり極めて有効です。このことは英米では当然のこととされ、日本の日弁連ですらそれを認めています(親が逮捕されることにより子どもの物理的な安全が確保されることと、心的回復のきっかけとなることー虐待親が刑事罰を受けることにより虐待を受けた子どもが自らが悪いわけではないと理解できることが心的外傷を癒すきっかけとなるなどー日弁連子どもの権利委員会「子どもの虐待防止・法的実務マニュアル(第4版)222頁」)。幼い子どもを10回も殴る親については、警察に知らせて、警察が他にも虐待してないか、他の兄弟にはどうかも含めて、子どもに危険がないか丁寧に調べた上、刑事責任を追及するかどうかの判断をゆだねるべきでしょう。結果として警告ですませる、不起訴になることもあるでしょう。しかし、当初から警察に通報すらしないというのでは、「虐待親は児相に通報されれば治外法権になる」というようなものですし、児相だけでなく格段に調査能力のある警察が調べた方が子どもにとり安全です。隣家の子どもを10回も殴ればまず逮捕されます。この検証報告書で、心愛さんが父親から殴られていると訴えた時点で、児童相談所ないしは学校が警察に通報すべきだったと指摘していないのは、検証委員会のメンバーは、親が自分の子どもを殴っても大したことではない、少なくとも刑事責任は問わなくともよい、警察に他の虐待や兄弟への虐待なども詳しく調べてもらう必要はない、児童相談所が警察に通報しなかったことは何の問題もないと、「子どもは親の所有物」と考えているのではと思わざるを得ません。仮に書類送検されなくとも、起訴されなくとも警察からの警告を受けたというのはかなり大きな虐待の抑止力となります。そのため最低でも警察への通報は必要なのですが、それすら不要のように考えているようです。
 上記日弁連のマニュアルに記載のとおり、虐待親が刑事責任を追及されることは子どもにとり大きな救いとなるのです。物理的な安全が確保されるだけでなく、親から虐待を受けるのは自分が悪いからだと思い込まされることを回避できることにもなりますし、何より虐待親への虐待抑止効果が大きいのです。日常的に子どもを殴るような親にとり児童相談所職員の訪問を受けるだけではまず効果はありませんし、一時保護されてもほとんど効果はありません。さらに今回の心愛さんのように自ら助けを求め訴えたような場合には、虐待親が子どもを逆恨みすることにもなってしまうのですから、より一層心愛さんを守るために虐待親に最大限虐待の抑止効果が発揮できるような対応をするかが重要です。そのためには刑事責任の追及(最低でも警察からの警告)が最も有効なのですが、この委員会のメンバーはそんなことには思いもつかないようです。
 こんな報告書を出されては、千葉県も警察との全件共有と連携しての活動に踏み切れにくいだろうなとさえ思ってしまいますが、心愛さんの父親の公判で事実関係がさらに明らかになることをきっかけとして、千葉県も事件直後に再発防止に真摯に取り組んだ野田市のように、貴重な事件を教訓とした再発防止に有効な対策―警察等関係機関との全件共有と連携しての活動ーに取り組んでもらいたいと心から思います。多くの他府県で千葉県のひどすぎる対応を教訓に、全件共有と連携しての活動に踏み切っているのに、肝心の千葉県が何も変えず、相変わらず警察とごく一部しか共有しないとは信じられません。千葉県議会、千葉市議会も傍観し続けていいのでしょうか。このことは東京都も同様です。

4.東京都目黒区結愛ちゃん事件についての厚労省の検証委員会の報告書も同様です(平成30年10月)。香川県で、結愛ちゃんに傷があるとして病院から児童相談所に通告がなされ、結愛ちゃんが「父親から叩かれた」と訴えたにもかかわらず、親が否定したことをもって虐待でないとして、警察に連絡もせず、一時保護もしませんでした。この時点までに二度も警察から書類送検されている暴力が止まない父親であるにもかかわらずです。この時点で、児童相談所が警察に通報していれば、書類送検は三度目なのですから、さすがに高松地検も刑事責任を追及したのではないでしょうか。そうなっていれば、父親に刑事罰による虐待の抑止力が図られ、結愛ちゃんが虐待死させられることは避けれたと思われます。しかし、厚労省の検証報告書もこの点の指摘はありません。

子ども虐待による死亡事例等の検証結果等について

 千葉県の検証委員会のメンバーと同様、厚労省の検証委員会のメンバーも、親が子どもを殴っても警察に連絡しなくていい、もちろん刑事責任の追及は必要ない、たとえ子どもが訴えても、3度目であっても、と考えていることになります。やはり、こちらも「子どもは親の所有物」と考えているのかなと思ってしまいます。
 また、結愛ちゃん事件では、東京都に引っ越してから東京都の児童相談所が母親と面会した際にその後の面会を拒否され、「親との信頼関係を優先」しその後安否確認もせず、警察に連絡もせず、虐待死させられています。この点について、報告書では「安全確認ができない 場合等にはリスクがあると判断し、速やかに立入調査を行うほか、必要に応じて出頭要請、臨検捜索などの対応を検討する必要がある。」と記載され、あくまで児童相談所がその後も単独で行動する必要があるとしています。しかし、児相の立入調査、出頭要求、臨検など時間も手間もかかり、子どもの安否確認までかなりの日数がかかります。その間子どもが危険にさらされ続けているのです。人手不足というのならなおさらでしょう。この点につき全件共有と連携した活動を10年以上前から実施している高知県では児童相談所が面会拒否されると直ちに警察に連絡し、その日のうちに警察と児童相談所が一緒に家庭訪問しています。警察官が訪問するとまず100%親は子どもに会わせます。児相職員と警察官とでは親への効果が大きく異なるのです。厚労省の検証委員会のメンバーも、東京都も、高知県のように面会拒否されたら直ちに警察に連絡し一緒に家庭訪問するようにと、なぜ思いつかないのでしょうか。その方が子どもも安全ですし、児相も無駄な労力が省けるのです。頭から警察との連携を度外視してしまっており、他の自治体の有効な取組を全く無視しています。児相が人手不足というのならなぜ高知県のような警察との連携を打ち出さないのか。
 ちなみに、厚労省の検証委員会の委員長は山縣関西大学教授がされておられ、私と昨年2月のNHKの日曜討論で同席しましたが、児童相談所と警察との全件共有と連携しての活動に反対を明言されました。厚労省の委員会のメンバーの磯谷弁護士も、千葉県の検証委員会の委員長の川崎二三彦氏も反対されています。児相と警察との全件共有と連携しての活動に反対するこれらの方々は、子どもが親から暴力を受けて助けを求めるような事案でさえ児相は警察に通報する必要はない、親に面会拒否されても警察と連携してはならない、児相だけで十分と考えておられるのだと思いますが、そのような対応で結愛ちゃんや心愛さんが虐待死させられたことをどうお考えなのか。また警察と連携すれば必要のない無駄な業務を児相にさせていることにも気づいておられないのでしょうか。

 「児童虐待に警察は関わらなくていい」「親が10発殴ろうが、二度も書類送検されている親がまた殴ろうが、子どもがそれを訴えようが、警察がかかわるべきでない」「親が面会拒否しても児相は警察と連携してはいけない」との考えは、子どもの命を守ることを最優先に考えるならば、決して出てこない考え方です。なぜ子どもを虐待から救うためになぜ警察を使ってはいけないのでしょうか?
 私は、あらゆる機関が、全国民が、虐待を受けている子どもを救うべきだと考えており、多くの国民もそう考えているのですが(学校や病院はいまだに児相に通報することが多いのですが、地域住民からの虐待でないかという通報は警察に8割通報されています)、この方々は違います。なぜ子どもを警察が救うという方法があるということに思いが至らないのか? 謎ですが、私がこの運動を始めたときに、ある自治体の担当課長に、私から警察と児童相談所との全件共有と連携しての活動をお願いしたところ、課長から「警察と情報共有し連携して対応することは福祉機関である児童相談所はやってはいけないんです」と拒否されたことを思い出します。

5.最近「反知性主義」という言葉が日本でもしばしば使われていますが、この用語について「客観性や実証性を無視もしくは軽視して、自分が理解したい形で世界を理解する態度」と定義される著作を拝読し(佐藤優「官僚の掟」p50―反知性主義という用語はアメリカで1950年代から言われており、この定義は元々の意味合いとは異なると思いますが、それはさておき)、「自分が理解したい形で世界を理解する態度」というところにはたと思い当たるところがありました。このような方々は児童相談所が案件を抱え込まず警察に通報し連携して活動すれば救えると分かっていても(分からないはずはないと思います)、それを無視、あるいは軽視して、「自分たちが理解したい形で」-児童虐待に警察はできるだけ関わらせないという形でー「児童虐待問題を理解」しているように感じます。あらゆる機関の力を結集して全力を尽くして子どもを救うのではなく、「自分たちが理解したい形で」-警察をできるだけかかわらせないでー児童虐待に対応すればいいと考えているのかなと感じた次第です。こどもの命を守ることは二の次なのです。
 この点、文科省には、子どもの命を最優先とするために警察の役割に十分な理解をしていただきました。昨年5月9日に文科省から出された「学校、教育委員会等向け虐待対応の手引き」では、学校は、外傷があり身体的虐待が疑われる場合、生命、身体の安全に関わるネグレクトが疑われる場合、性的虐待が疑われる場合、この他,子どもの生命・身体に対する危険性・緊急性が高いと考えられる場合は、警察に通報するよう定められました。子どもを救うのに警察を使わなくてどうするのか、ということです。心愛さん事件で学校は児相に通報したにもかかわらず心愛さんは救えなかったのです。この事件の大きな教訓はここでしょう。それを文科省はご理解いただき、早くも昨年5月に上記の手引きを作成・配布されたのですが、その後の11月に出された千葉県の検証委員会は文科省の本手引きの当該部分を全く無視して、全くそのような提言をせず、「自分たちが理解したい形で」提言を出しているのです。
 長年組体操を止めず、昨年末にようやく中止することにした神戸市教育委員も同様です。神戸市の学校関係者は「組体操は教育上有効である、教育上有効なことは子どもが負傷しようが、他のより安全な代替案があろうが、行って構わない」という心理だと思うのですが、、この人たちは、教育を「自分たちが理解したい形で」考えているのです。
 反知性主義というかどうかはともかく、上記佐藤優氏の定義する「客観性や実証性を無視もしくは軽視して、自分が理解したい形で世界を理解する態度」は、児童相談所や学校、児童福祉や教育分野の学者、医師、弁護士など「専門職」あるいは「専門家」と言われる人々の間に広く蔓延しているように思います。そしてこのような識者によっては反知性主義とも呼ばれる態度は、縦割りによる他機関排除意識と一部の弁護士・学者らの警察嫌いというイデオロギーに裏打ちされているように感じています。いずれにせよ、子どもの命を第一に考える理解の仕方ではありません。