ブログ175 強制力のない緊急事態法制のままでは感染の収束が長引くのでないか

1 5月4日緊急事態宣言が延長されましたが、PCR検査が極端に少ないことから感染の全体像が分からないまま無症状感染者が多数いる中で宣言が解除されれば、感染が再度拡大することはそれなりの確率で予測されます。実効再生産数が1未満なら増えないといわれていますが、データの算出方法や出されている数字が正確かまだ分からないようです。素人ながら、このままでは5月末になっても感染がさほど収束しないままで、しかしさらに延長することは、国民の不満の声に押されて政府にはできず結局解除され、その場合感染は収束せず、最悪医療崩壊に至ってしまうことを危惧しております。

2 日本がこんな状況になっている原因は大きく二つあると考えます。一つは再三指摘しているPCR検査を極端に少なく抑える方針を取り続けたことで「検査と隔離」という感染症対策の基本が全くとられなかったことと、もう一つは新型コロナ特措法の緊急事態で定められている外出禁止の要請や興行場等の使用禁止の要請・指示の違反につき罰則がなく、対象も限られ、企業に出社抑制を命じることができないなど、緊急事態法制と呼ぶほどのものでない、甘い法律しか整備しなかったことにあると考えます。「検査と隔離」を徹底していれば緊急事態宣言は不要でなかったのではとも思うのですが、ここでは緊急事態法制についてのべることとします。

 現在は、特措法に基づく外出禁止、学校・興行場等の使用禁止のほか法律に基づかない飲食店等への休業の「お願い」や企業への出社抑制の「お願い」がなされていますが、法律に基づくものですら「お願い」のようなものです。指示ですら従わなくとも罰則はありません。

 これでは効果が期待したほど出ないのも不思議ではありません。効果を期待するのであれば、強制力を持たせるほうがいいに決まっています。そのような法制度であったならば、外出、営業活動による接触の機会がさらに大幅に減り、(PCR検査を他国並みにやることを前提としてですが)緊急事態宣言は解除できたのではないでしょうか。
 パンデミックへの危機対応に対処する緊急事態法制に罰則をつけないことは異例でしょう。他国ではほとんどが罰則付きの緊急事態法制です。多数の国民の命を守るため、国民が被る制約や経済的損失を最小限で短期間で終わらせるためにも、最も効果的な対策は何かー罰則をつけることを排除せずーを考えるべきなのです。ところが、日本は他国と異なり頭から「罰則なし」を大前提として、このパンデミックに臨んでしまい、有効な法律を作りませんでした。その結果、感染が拡大し、緊急事態宣言も延長せざるを得ず、多数の事業者の方により大きな打撃を与えてしまいました。
 罰則で担保する規制の方が、感染拡大防止に効果があることは言うまでもないのみならず、経済的損失を回避し、早く経済活動を再開するためにも有効なのです。今の日本のやり方の、中途半端な緩い規制をだらだらと長期間続ける方がダメージが大きく、いつまでも経済活動を再開できません(スウェーデンのように「集団免疫」獲得戦略を取るなら別ですが)。
 感染拡大を短期間で防止し、多くの国民の命を守り、事業者等が被る経済的損害を少なくするために、現在のような中途半端な効果がさほど期待できない法律でなく、罰則で担保された(対象も拡大し)より効果が期待される法制度であったほうがよかったのです。
 私は、再三、PCR検査の大々的実施による「検査と隔離」の徹底とともに、外出禁止や営業禁止の違反に罰則をつけ(対象を拡大した上で)、企業に出社抑制を命じることができるようにするなどの法改正をすべきと主張してきました。

https://www.thinkkids.jp/archives/1872

 しかし政府は当初から罰則をつけない法制度とし、その後感染拡大が続く中でも、改正しようとしません。理由は分かりません。罰則で担保すると経済活動が停滞してしまうと思ったのかもしれませんが、今でも広範囲に経済活動を「自粛要請」という名でストップさせているのです。こんなやり方をするぐらいなら、必要な経済活動、日常活動はもちろん規制対象外ですので、それ以外の営業・外出等につき罰則で担保し強く規制していれば、接触の機会がさらに減り、感染拡大をより効果的に防止することができ、感染は早期に終息し、経済活動もより早期に再開できたのではないでしょうか。

3 さらに、政府が罰則をつけなかったもう一つの考えられる理由は、罰則をつけると「国家権力の乱用だ」とか「警察国家になる」とか必ず出されるであろう一部の政党や団体、マスコミからの批判に腰を引いたということがあげられます(推測です)。もしそうだとすると、このような一部のイデオロギー優先の批判をおそれて、合理的で国民を守ることに有効な法制度を整備しないことは、国民から負託を受けた政府・国会に許されるものではありません。何にでも反対する人はいるのです。児童ポルノを個人で持つことを罰則で禁止する法律案に日弁連(しかも担当は「子どもの権利委員会」!!)は「冤罪の恐れあり」として反対しています。共産党、社民党も反対しました。日弁連では子どもの権利委員会と名乗る組織が、弁護士たちが子どもを児童ポルノから守る規制に反対したのです。彼らは罰則をつけなければ禁止してもいいというのです。要するに、「お願い」みたいなもので、新型コロナ特措法の「要請」みたいなものです。しかし、常識的に考えて児童性虐待者が罰則のない法律を守るとは到底考えられません。そんな緩すぎる法律を整備している国は私の知る限りどこにもありません。
 こういう組織は、人々は、イデオロギー(罰則をつけるべきでないという)にとらわれ、子どもを守るために有効な合理的な法制度は何かということが理解できないのです。どうしても自分たちのイデオロギー(罰則をつけてはならない)を優先させてしまうのです。「子どもの権利委員会」と名乗りながら、子どもを守ることは二の次になってしまい、それをおかしいとも何とも思わないのです(私は「大人の権利委員会」と名前を変えるべきと思っています)。何がより大事か、より重要かを判断できないのです。
 このような考え方をする政党や役人、「専門家」、マスコミは結構います。児童虐待の分野で言えば、「親との信頼関係が大事だから児童相談所は警察とは連携しない」という厚労省や東京都、千葉県などの児童相談所とそれを支持する「専門家」の医師たちです。これらの人たちは、「子どもを助けるよりも親との信頼関係が大事」であり、「虐待親が嫌がる警察とは児童相談所は連携してはいけない」と平気で言い放っているのです。政府が、こんな人たちの言うとおりにしていたら、こんな人たちの批判に腰を引いてしまったら、国民の、子どもの命は守ることはできません。
 余談ですが、私は警察庁勤務時や弁護士になってからも、法律案や条例案を作成する業務に多く携わっていましたが、その案がこれらの政党や日弁連に反対された場合には「ああ結構いい法律(条例)なんだな」と満足しました。大阪府警時代に提案した「大阪府安全なまちづくり条例」に共産党が反対し、大阪府弁護士会から「憲法違反」と反対声明を出されたことに満足したことを覚えています(拙著「日本の治安」新潮新書p80)。結構日弁連には反対されました。逆に反対されなかった場合には「役に立たない法律だったか」と自らの無能、腰の引きすぎを反省しました。

4 しかも、今のような強制力のない法律に基づく要請、あるいは法律に基づかない「休業自粛要請」に頼っているやり方は、正直者がバカを見ることになっています。パチンコ店だけでなく、あらゆる業種で要請、自粛要請に従っている事業者と、従わない事業者の間で甚だしい不公平・不合理―(休業補償が十分なされないままでは)従わない方が有利―なってしまっています。一般人の外出禁止の要請もそうです。罰則がないから要請に従わず不要不急の観光、遊び、パチンコをしに外出をする人が少なからずいて、感染の危険を拡大させ、要請に従う人を危険にさらしています(山梨で陽性の会社員がバスで帰京した事例なども)。

 要するに、強制力がなく「要請」に頼る法制度は、強制力のある制度に比して効果がないばかりか、「要請」に従う真面目な人がバカを見る、不公平・不合理な制度なのです。また、「自粛警察」と言われるように、そもそも要請に従う義務のない事業者にも店を開けていると一般市民からいやがらせ・誹謗中傷が多発している現状です。強制力で担保し、対象も必要な範囲としていれば、このようなことは起こることはなく、感染拡大防止により効果がでることになりますし、「自粛警察」のような動きもなかったでしょう。このような制度とした上で経済的支援をよりしっかりするという法制度が必要です。

 朝日新聞は「宣言の発動には極めて抑制的な姿勢を基本にすべきではないか」(3/14政治部長発言)と罰則のない現行法の宣言にすら否定的です。5/3の朝日新聞では「「お願い」という名の強制力。緊急事態で強まる私権制限」と題し、「お願い型」のやり方が同調圧力として事実上の強制力として作用しているという大学教授の発言を紹介し、罰則のない現行法のやり方の問題点―「自粛警察」の問題点も含め―を指摘しています。いい指摘だと思います。しかしながら、「「お願い」型を否定する必要はもちろんない。強制は少ない方がいい」として、罰則をつけてやるべきとも言いません。現行法の問題点は分かっていながら、「罰則はあってはならない」というイデオロギー(社の方針でもあるのでしょうか)に記者・デスクもとらわれているのでしょうか。朝日新聞には、より効果的に国民の命を救い、国民の蒙る制約・事業者等への打撃を最小限・短期間に抑える方法は何かと、上記の日弁連のように罰則を頭から排除するのではなく(多くの国では当然に罰則をつけ、国民の多くはそれを当然と考えているのです)、合理的に考えてほしかつたです。朝日新聞が嫌がる、罰則で担保すると言っても、その目的は、「お願い」を受け入れてくれない一部の人々に、法律に強制力をもたせることにより守ってもらうことにあり、取締まりが目的ではありません。警察が実際に取り締まるのは悪質なごく一部に限ることとすれば(警察も全くやりたいわけではないので必ずそうなりますー朝日新聞もほんとは分かっていると思います)、今とほとんど変わりません。かえって、GW期間中にみられた観光地で立入禁止としている海岸や河川敷、キャンプ場等に無理やり車で侵入するなどの極めて非常識で悪質な行為につき取り締まることができることで、多くの国民の指示も得られると思います。是非、朝日新聞には法改正をして罰則で担保せよと主張していただきたくお願いいたします。朝日新聞もまさか「罰則をつけて早期に収束するよりも、罰則をつけずにいつまでも収束しない方がいい」とは考えておられないと思います(もしそうなら、「警察と連携して子どもを救うくらいなら、児童相談所が案件を抱え込んだまま子どもが虐待死したほうがましだ」と考えているとしか思えない警察との全件共有を拒否し連携しない厚労省や東京都・千葉県などの児童相談所と同じになってしまいます)。
 また、野党も憲法改正の理由として緊急事態条項の整備の必要性が主張される中、今のように国会が有効な法律の未整備を放置していれば、その主張にそれなりの合理性、説得力がでてきます。憲法改正を阻止したいのであれば、自ら有効な法律を整備するため動かなければ、緊急事態法制は未整備のままである、国会には期待できないと考える国民が増え、緊急事態条項を内容とする憲法改正に賛成世論は増えるのではないでしょうか(老婆心ながら)。

5 強制力がないことから効果がさほどなく、正直者がバカを見る法律をそのままにしておいてはなりません。営業禁止の対象を拡大した上、外出禁止・営業禁止の違反に罰則をもって担保し(もちろん必要な営業活動、外出等は除きます)、企業に出社抑制を命じることのできるようにし(出社抑制、電車通勤する人の減少はさほどでないことにつき毎日新聞5月6日「思うように減らない日本の電車通勤 公共交通機関の利用 諸外国との違いは」参照)、併せて経済的支援を行うことを内容とする法改正を行い、感染が収束しない、医療崩壊に瀕した場合などに発動することができるよう準備しておく必要があると考えます。発動する必要がなければ発動しなければいいのです。これからも第二波、第三波があるのですから、最悪を想定して準備していなければ、医療崩壊など最悪の事態に至ったときに有効な対策がとれないのです。遅すぎるのですが、今からでも、危機管理の基本である最悪を想定してやるべきと考えます。

 感染症対策の基本である「検査と隔離」のため必須のPCR検査を軽視したことにしても、効果のない緊急事態法制を作ってしまったこともそうなのですが、日本は全世界で同時並行で起こっている大惨事、パンデミックへの危機対応が他国と比べて違いすぎます。控えめな言い方をして「楽観的」「危機対応に問題」、通常の言い方をして「無謀」「危機対応がありえないほど拙劣」だと感じています。他国に学び、より効果的な方策を学ばなければなりません。しかし、批判に腰を引くことが習い性の役人には期待できません。是非、安倍総理には一部から出されるであろう批判に腰を引くことなく、合理的に考えて、最も感染拡大防止に効果があり、かつ、経済活動の再開も早期に可能となる法制度を再構築していただきたいとPCR検査の圧倒的拡大とともに強く望むものです。